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『世界に学ぶ自転車都市のつくりかた』の本の問題点

 学芸出版社から、『世界に学ぶ自転車都市のつくりかた』(宮田浩介編著)が発売されました。この本は、オランダ、デンマークの自転車インフラ整備に対する考え方など、多くの参考になる点がある反面、草の根レベルの市民の努力から始まり、行政を動かし、まだまだ理想にはほど遠いながらもここまで積み上げてきた日本での自転車利用促進の努力を批判し、無理やり自説に誘導することで、日本をまともな自転車政策がなかった20年前に戻してしまいかねないものだと考えます。

『ママチャリ』は世界に誇る文化?

 この本の「8章 日本〈総論〉今よりもっと自転車が選ばれる社会へ」の章の主張をざっくりまとめると、「『ママチャリ』は世界に誇る文化であるが、日本の自転車政策はそれを軽視し、スポーツバイク目線で『自転車は車道』の政策が進められてきた。自転車は歩道を走る方が安全であり、日本での『車道の方が安全』という多くの研究結果には問題がある。矢羽根印を書いたただけの車道混在は無意味である。」ということです。
 そして「ママチャリは日本特有のものでも『ガラパゴス』でもなく、日常自転車先進国に共通のオーソドックスな車種なのだ。」と書かれています。たしかにオランダやデンマークでは、一見日本の「ママチャリ」っぽい自転車が多く使われていますが、日本の自転車との違いは現地で自転車店に行けばすぐにわかります。ヨーロッパの多くの国で自転車を新車で買おうとすると、円安が進んだ現在のレートでは、安いものでも10万円近くします。スポーツバイク乗りではない、一般の自転車ユーザーが10数万円する自転車に普通に乗っているのです。高いだけではなく、日本なら同程度の価格のスポーツバイクに使われているような質の高いパーツが使われてます。ただし、安い自転車が欲しい人には。自転車店で普通に中古自転車が販売されてます。質のいい自転車だからこそ長く使え、中古市場も発達しているのです。
 アムステルダム市内などでは、盗難が多いこともあり、古い自転車に乗っている人も多いですが、その自転車も日本でかつてあった実用車に近いものであり、車体は重いものの、スピードが出るように作られています。走行環境が整備されていることに加えて、質の高い自転車に乗っているので、自転車のスピードは速く、オランダに限らず、他のヨーロッパ諸国でも自転車は時速20kmくらでい走るのが標準です。また、スピードが速いからこそ、車の代わりに使えるのです。
 それに対して日本では1万円前後の安くて質の悪い自転車が当たり前に販売され、ほとんどの人は自転車とはそういうものだと思っています。
ただし、「ママチャリ」にも質の高いものも多くあり、そもそも「ママチャリ」の定義がはっきりしていないこともあって、私は問題があるのは「ママチャリ」ではなく「安い自転車」と言っています。

日本で自転車がルール・マナーを守らない原因

 さらに大きな違いは、ヨーロッパでは、自転車はきっちりルール・マナーを守って走っているということです。自転車が歩道を走っていけないことは当然ですが、歩行者が自転車道を歩いていても、すぐに周りの人に怒られます。また、逆走も皆無というより、逆走しようものなら正面から他の自転車がすごいスピードで走ってくるので、不可能です。
 日本では、歩行者と混在しての歩道通行が当たり前なだけでなく、道の左右関係なく走る、車道逆走、信号無視、スマホを使いながら、など無法状態で、それが原因で自転車の事故率も高い。このような国は、先進国だけでなく途上国まで含めても日本だけです。こんな状態を他の国が目指しているはずがありませんし、目指しているとしたら、日本の実情を知らないことによる完全な誤解です。
 ではなぜ日本はこのような状態になってしまったのか? それは1970年および78年の道路交通法改正に遡ります。それまでは、自転車は当たり前に車道を走っていたのが高度成長期で車が増えたため自転車との事故が増加し、「歩道自転車通行可」に指定された歩道に限るなど、限定的ながら歩道を通行することが認められました。本来ならこれは一時的な処置で、徐々に走行空間を整備して自転車を車道に戻していくはずだったのですが、結局それは進まず、「自転車は歩道を走るもの」ということが当然になり、警察官までもが歩道を走り、他の自転車に歩道を走るように指導するようになってしまいました。これは、そもそも「車道はクルマのもので、その走行の妨げになるものはすべて歩道へ」というクルマ中心の考え方です。それによって、最も優先されなければならない車椅子やベビーカーなども含めた歩行者にとって、歩道は安全な場所ではなくなってしまいました。本来交通の原則は弱者優先で、歩行者を第一に考え、その次に自転車、公共交通や物流がその次に来て、自家用車は一番最後になるはずです。日本ではそれが逆転しています。
 そして、自転車が歩道を走ることで、「自転車は歩行者の仲間」という誤った認識が広がりました。歩行者なら左右どちらを歩いてもいいし、電話しながらでもかまいません。その感覚で自転車が使われるようになってしまいました。そして、歩道では自転車は強者です。無茶な運転をしても自分が傷つくことはありません。そんな自転車が歩行者を脅かし、歩道と同じ感覚で車道に出て事故を起こします。

そして、自転車に対する意識がどんどん下がった

 歩道には、段差もあり、歩行者と混在することになるので、自転車はあまりスピードが出せません。すると遠くへ行けません。どうせスピードも出せず遠くへ行けないからと、近距離をゆっくり走るのに適した安くて重たくて質の低い自転車が主流になりました。質の低い自転車だからさらに遠くへ行けない。その結果、多くに人にとって自転車は近所の買い物や、最寄りの駅まで1km程度の距離で使うものになってしまいました。
 1km程度なら、歩いてでも行けます。さらに、歩行者を脅かし道路を無茶苦茶に走る自転車はどんどん悪者になっていきました。そんなもののために走行空間を整備しようなどとは誰も思いません。それが徐々に見直されつつあるとは言え、今の日本の状況です。
 しかし本当は、自転車は走行空間が整備され、質のいい自転車に乗れば、街中程度なら十分車の代わりになるものなのです。しかし日本では、自転車を使っている人でさえもそれを知らない、いや、わからない状態にさせられています。
 ここまで書いたようなことが重要なことにもかかわらず、おそらく意図的にこの本では全く触れられてません。

しかし、地道な努力の積み重ねでここまで来た

 オランダやデンマークの自転車道は、たしかに理想に近いものですが、日本では、これまで書いたように自転車に対する評価が低いどころか、反感を持つ人が多く、車中心で、車道を削って自転車道を作ることにはまず合意が取れません。ただし、この20数年の草の根レベルから始まり、NPO自転車活用推進研究会などの多くの人の地道な努力によって広がっていった自転車利用促進の運動が行政を動かし、自転車活用推進法、そして自転車活用推進計画の策定に繋がって、ようやく国レベルで自転車利用が促進されるようになりました。初期の頃からその活動に関わってきた私などからすれば、20年前には想像すらできなかったレベルまで進んでいます。
 ただし、一般の人々の車中心主義は変わらない中で、自転車の走行空間を少しでも整備しようというせめぎあいの中で生まれたのが矢羽印による車道混在や車道を線で区切った自転車レーンだと私は考えます。また、オランダでも自転車道の整備には50年以上の年月をかけて行ってきました。仮に日本政府が自転車通行空間をこれからどんどん整備するように方針転換したとしても、この先数十年は自転車は車道か歩道かどちらかを走る必要があるのです。さらに50年もたてば、自動運転が当たり前になり、すると車が勝手に自転車をよけて走ってくれるので、自転車道や歩道も無用の長物になる可能性もあります(だから作らないてもいいとは思いませんが)。
 自転車レーンに車を停められることは大きな問題で、何としてでも解決する必要がありますが、交通量が中程度の道路では、自転車レーンが最も安全に寄与するということは、多くの自転車が専門の研究者が証明しています。その研究者の方々は、皆ライトな自転車ユーザーであり(私自身はヘビーユーザーであることは認めますが、研究者ではありません)、スポーツバイク中心の偏った見方であるとはとうてい思えません。歩道より車道の方が自転車にとって安全であるということも同様で、すでに専門家の間での共通認識となっています。

そんな日本で自転車政策を進めるには?

 矢羽根印を付けただけの車道混在では、子どもを乗せた自転車やお年寄りなどは怖くて走れないでしょう。また、実際の事故率だけでなく、どれだけ恐怖を感じるかという心理的なことも利用してもらうためには重要なことです。ただし、現在の日本では、走れる人だけでも車道をルール・マナーを守って走ることが重要なのです。車道では、ルール・マナーを守らなければ自分が被害を受けるため、否応なしに守るようになります。それによって、「自転車は車道を走るものであり、車はそれに気を遣わないと事故になる」。また、自転車というのは、「本当はもっとスピードが出て、長距離も走れ、街中くらいなら十分車の代わりになる交通手段なのだ」という認識を広げていくことが必要なのです。それ無しに今の日本では、いくら理想を掲げても自転車道の整備は進みません。
 また、オランダでは国中で自転車走行環境が整備されていますが、デンマークでは地方に行くと自転車道の整備は限定的です。他のヨーロッパ諸国はさらに部分的にしか自転車道がなく、皆車道を走っています。車道を問題なく走れるのは、クルマが自転車に対して気を遣ってくれるからです。ヨーロッパで自転車で交差点に入ろうとすると、クルマは必ず止まって待ってくれます。自転車を追い越すときも必ず1.5mほど間隔を開けてくれます。間隔が空けられない場合は、こちらが申し訳なく感じるほど自転車のスピードに合わせてゆっくり付いてきてくれます。ドライバーにそのような意識を持ってもらうためにも、自転車が歩道ではなく車道を走ることを当たり前にしていく必要があるのです。
 今の日本で「ママチャリは世界の標準、歩道通行の方が安全、矢羽根は無意味」という考えが広まったらどうなるでしょうか? 自転車の車道通行は進まず、自転車道も整備が進まない。ようやく車道を走りかけた自転車は歩道に戻ってしまう。無茶苦茶な走り方もそのまま、となることは、容易に想像できます。
 フランスなどでは、元々自転車があまり使われていなかったこともあり、自転車に対するマイナスイメージがなかったことが、パリで自転車通行空間の整備に合意が得られた大きな要因だと思います。日本では、そのマイナスイメージを克服することから始めなければならず、そのための手段のひとつが車道通行の促進なのです。
 また、私はサイクルツーリズムの推進もそのための手段だと思っています。いい自転車に乗って、ある程度の長距離を走ってもらい、自転車を楽しんでもらうことで、本当の自転車の可能性に気づく人が増える。日本と同様に自動車メーカーの力が強いドイツでは、そのためにサイクルツーリズムを推進し、ドイツ人の旅行好きとも相まって、世界一のサイクルツーリズム先進国となっています。
 私は、多くの人に声を大にして言いたい。「走れる人からでいいから、いい自転車に乗り、車道をルール・マナーを守って走ろう!」それが、日本の自転車政策を進める力になるのだから。

 ついでに宣伝です。こちらもぜひお読みください。
『サイクルツーリズムの進め方 自転車でつくる豊かな地域』
https://www.biwako1.jp/cycletourismbook

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